琉球の風が薫る、もう一つの将棋
「チュンジー」は、中国から琉球王国に伝わった盤上遊戯「象棋(シャンチー)」が、
沖縄で独自に発展した伝統将棋です。
駒は「タマ」、王さまの居る城は「グスク」。
盤の上に、沖縄のことば(しまくとぅば)と歴史が息づいています。
ちゅん爺道場
久米村のちゅん爺が毎日出す一手詰めと、一手詰め・次の一手クイズの練習。解説つき。
ルールと駒の動かし方
7種類16個の「タマ」の動き方を、しまくとぅばの名前とあわせて図解します。
定石・戦略
当頭炮や屏風馬など、序盤の戦い方と勝つための考え方を紹介します。
久米村の偉人と対局
程順則・鄭迵・蔡温――久米村ゆかりの三人を相手に、ブラウザですぐ一局。
久米村と象棋
琉球王国・久米村から続くチュンジーの歴史をたどります。
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チュンジーとは
チュンジー(琉球象棋)は、沖縄県の伝統的な盤上遊戯です。中国から伝来した シャンチー(中国象棋) を元にしており、駒の名称などを除けばルールはおおむね同じです。 琉球象棋・沖縄象棋・沖縄将棋とも呼ばれます。
一人が7種類16個の駒(タマ)を盤上に並べ、二人一組で互いの王(ヲー)を詰め合う遊びです。 日本の将棋に比べて駒の展開が早く、短い時間で勝負がつくのが特徴。持ち駒という概念がなく、 取った駒は盤に戻せないため駒は減っていきますが、それでも終盤は非常に奥が深く、 「残局(ざんきょく)」と呼ばれる詰め問題集まであります。
久米村(くにんだ)と象棋
チュンジーの歴史を語るうえで欠かせないのが、那覇の久米村(現在の那覇市久米)です。 久米村は、14世紀末に中国(明)から渡来した技術者・学者たち――いわゆる 久米三十六姓――が暮らした集落で、琉球王国の外交・学問・文化の中心地でした。
中国との交易や交流が盛んだったこの地に、母国の盤上遊戯であった象棋が持ち込まれ、 根づいていったと考えられます。実際、戦前までは久米村を中心に沖縄県内全域に 多くの愛好者がいたと伝えられています。首里城跡からも象棋の駒が発見されており、 王国時代から広く親しまれていたことがうかがえます。
伝来から復興までの歩み
- 〜1453年 この頃までに、中国の象棋が琉球に伝来したとみられる。
- 琉球王国期 久米村を中心に、士族や町の人々の間で象棋が広まる。首里城跡からも駒が出土。
- 〜戦前 那覇・久米を中心に県内全域へ。街角で男性たちが盤を囲む娯楽として親しまれた。
- 戦後 沖縄戦と社会の変化のなかで急速に衰退。愛好者は一時およそ30人にまで減り、 “絶滅の危機”といわれるほどに。
- 2011年 仲村顕さんによる入門書『はじめての象棋(チュンジー)― 沖縄の伝統将棋』が出版され、 本格的な普及・継承の動きが始まる。
- 現在 公民館・児童館での教室、各地での大会や体験会、台湾との交流戦などを通じて、 次の世代へ受け継ぐ取り組みが続いている。
チュンジーならではの個性
しまくとぅばで呼ばれる駒と用語
チュンジーの大きな魅力は、駒や決まり手の名前に沖縄のことば(しまくとぅば)が使われている点です。 王さまは「ヲー」、王の動ける城(九宮)は「グスク」、盤の中央を流れる河は「カーラ」、 駒そのものは「タマ」と呼ばれます。
| 駒(漢字) | チュンジー | はたらき |
|---|---|---|
| 將/帥 | ヲー(王) | 王さま。グスクの中だけを動く |
| 士/仕 | シー | 王の護衛。グスクの中を斜めに |
| 象/相 | サン | カーラ(河)を渡れない守りの駒 |
| 車/俥 | キー | まっすぐどこまでも。最強の駒 |
| 馬/傌 | ウマ | 桂馬のように曲がって進む |
| 砲/炮 | ファー | 駒を一つ飛び越えて撃つ大砲 |
| 兵/卒 | チク | 歩兵。河を渡ると横にも動ける |
「シーケーサー」――独自の千日手ルール
同じ局面を繰り返す「千日手」を、チュンジーではシーケーサー 〈シー(する)+ケーサー(返す)〉と呼びます。チュンジーでは 仕掛けた側が手を変えなければならず、同じ局面が3回現れると仕掛けた側の負け という、わかりやすい独自ルールになっています。